10.02.2012@
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どうでもいいけど、イタリア語のタイトル「L'Avventura (The Adventure)」を「情事 Fare l'amore」(love affair)としたのはどうしてなのかっていう細かい疑問。アベンチュラは「冒険」で、フランス語のアヴァンチュール(aventure)と同じく、「危険な恋」を示すとしても。
鑑賞すれば、ありのまま「情事」だよねって内容です。
ただ、情事のヒロインはクローディアなんだけど、倦怠からの脱出を「冒険」とすれば、アンナが浮かんでくるワタシ。
アントニオーニがフェデリコ・フェリーニの「形而上的リアリティー」を目指すとあったけど、その意を汲んで、冒険の形而上的(平たく言えば精神的)な意訳をしたのかな。それとも男女の性愛の冒険を「情事」にあてはめたとか。
友人たちが情事を重ねているのとは反対に一人で過ごす退屈な時間
この映画に登場する男女。夫婦ではない男女の色事をありのままの事柄と事情で示しているけど、失踪したアンナという女性の現実からの逃避の冒険だったのかも。映画では行方不明=死を暗示しているけど、そのアンナの失踪後に、主人公とアンナの婚約者の情事がはじまるわけ。
「形而上的リアリティー」って、形而上学のリアリズムという哲学的な解釈よりも、フェリーニが「文学的でもなく、絵画的なもの」という言葉を残しているけれど、イタリア形而上絵画のような映画にみえるワタシ。
ところで、このアントニオーニ、そしてフェリーニの映画に関する記事って、形而上的リアリティーって表現しているけど、実存主義(Existentialism)ってことじゃダメなの?
映画 情事 L'AVVENTURA
私が画面に惹きつけられたひとつには、芸術的な装飾。脇役ジュリア(Julia)のお相手は画家。その彼の描いている作品は、いったいどの画家を象徴いているのかなって考えるのも面白いし。
女性の半身のヌードのデッサン。ドイツの表現主義(1910年以降)っぽいと思ったワタシ。
完成されている作品。誰の作品なんだか興味があるんだけど。
主役クローディアの背後にかかる作品は、抽象画的。ピカソっぽい。映画の美術はピエロ・ ポレット(Piero Poletto)が担当。
このジュリアと恋人の情事の場面になる絵画に囲まれた部屋の場面はこちら。
L'AVVENTURA di M.Antonioni 1
ジュリアの情事に締め出されたクローディア 「やれやれ・・・」って表情
カフカの変身、カミユの異邦人、サルトルの存在と無なんかの文学から比べると、まったくわかりやすい。
原因不明の状況の変化は、情事。そして結婚という冒険ができない女性。行方不明となった女性とその女性を探しつつ、彼女の婚約者と情事にふける主人公。
ただ、行方不明の女性がどうなったかってところが解決しないから、アントニオーニらしいなんて高い評価をしているけれど、解決しない問題は、人生にいっぱいあるし、解決しないFINがそんなに重要なことなのかなってワタシ。
芥川龍之介が第一次大戦後に「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺しているその「不安」は有名。映画「情事」は、第二次大戦後から十数年しかたっていないけれど、この映画の解説には、行方不明か事故か、になってる。
どうしてアンナの他殺や自殺がほのめかされないのかが不思議。
ワタシはレベッカがヨットの事故で死んで、やむにやむ終えず夫がレベッカに手をかけて殺したあの物語を思い出したり。
L'avventura (1)
L'avventura (2)
L'avventura (3)
L'avventura (4)
L'avventura (5) ヨットで島にむかうアンナ達
公爵夫人に招かれてエオリア諸島にむかっている数組の恋人たち。アントニオーニが、友人たちとヨットで出かけたときに、一人の女性が行方不明になった実体験がここにある。
物語はアンナと恋人で建築家のサンドロ、そして友人のクローディア、ジュリアとその恋人たちで向かった島で、サンドロはアンナにプロポーズをします。
そしてそのあと忽然と消えたアンナ。クローディアは「溺れたですって!」と顔色をかえつつも、なす術もなく・・・。
こうして、アンナの行方をサンドロと二人で探す旅にでかけ、アンナの影に不安を覚えながら、サンドロと情事を重ねていくクローディア。
L'avventura (6)
L'avventura (7)
L'avventura (8)
L'avventura (9)
L'avventura (10)
L'avventura (11)
L'avventura (12)
L'avventura (13)
L'avventura (14)
サンドロは、今度はクローディアにプロポーズをします。
パトリッツィア(Patrizia)にサンドロの居場所を尋ねるクローディア
L'avventura (15)
L'avventura (16)
L'avventura (17)
L'avventura (18-19)
L'avventura (20)
L'avventura (21)
L'avventura (22)
L'avventura (23)
L'avventura (24)
L'avventura (25)
探してみるとサンドロは娼婦と情事
L'avventura (26)
L'avventura (27)
L'avventura (28)
L'avventura (29)
L'avventura (30)
L'avventura (31)
L'avventura (32)
L'avventura (33)
L'avventura (34)
L'avventura (35)
主人公クローディアは、友人のアンナの婚約者サンドロと情事がはじまり、そしてサンドロの娼婦との情事ですべてが終わってしまった二人。
娼婦との情事に後悔の涙を流す情けないサンドロに、そっと手をかけるクローディア。
もしかして「情事」が「愛」に変わった瞬間?
よく、この映像の場面が二人の「断絶」をあらわしているとなっていますが、よくみると、二人は「断絶」されている右側の壁と反対側にいる。
情事って、精神的な愛がない、色欲のこと。
二人の「情事」が、娼婦との「情事」で壊れてしまったあとに、「愛」か「別離」かの選択があるとして、どうしてもこのラストをみると、「断絶」にみえないワタシ。
「内的ネオ・リアリスト」で「ネオ・リアリズモの継承者」のアントニオーニ監督なんてあるらしいけど、もしもこの映画から、それを感じ取ったとしたら、ファシズムの名残があったかな?って感じ。
もしかすると、サンドロが最後に後悔の涙を流したところかも。
だって、ムッソリーニのファシズム(fascismo)は、男性原理の極端な強調でしょう?その男性原理が弱まった象徴がサンドロで、男性に手をかけるクローディアは、女性原理が強くなる象徴じゃない?
ワタシにとって、ラストはフェミニズムな予感。
クローディアを演じたモニカ・ヴィッティ。いま70代だけど、まだ元気。
アントニオーニの「愛の不毛」の三部作に全出演。彼の恋人だったから?それにしても、日本だけがベタな「愛の不毛」・・・。「実存三部作」ってなってるのにかかわらず。
記事 アントニオーニ 「夜」 La notte (1961)
記事 フェミニズムな映画 「太陽はひとりぼっち」 L'eclisse − The Eclipse(日蝕)