10.02.2012@
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なかなか覚えられそうもないナマエ・・・、エマ・チチェスター・クラーク。
前年に出版された雑誌・絵本・イラストレーションブック・ブックカバー、ジャケットのイラストレーションの中から優秀な作品を選出するコンペは、ヴィクトリア&アルバート美術館のBook Illustration Award があります。
この作品「不思議の国のアリス」が、そのコンペに応募したようです。
この場面は第6章で、ブタのおちびさんがいる屋敷の蛙のようなお仕着せ姿の従僕と、書状を手にやってきた魚のフィッシュ従僕。アリスは木陰からこの様子をみているところ。
記事 不思議の国のアリス 第6章
この章で、チェシャ猫が登場する。紹介のリンク先は写真家アニー・リーボヴィッツ、ジョン・テニエル、アーサー・ヒューズほかのイラストがいっぱいです。
Emma Chichester Clark at Liberty
コメント:小さな身体の作家が物語りを気球に乗せて世界中へ届けるのだけれど、最後の最後まで読むと、その物語の謎がわからない。洋書だけれどリバティプリントにもなったエマ・チチェスター・クラークの絵も面白いです。子供向けの邦訳は「お話は気球に乗って」です。読んだことあり�
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コメント:児童文学賞受賞の絵本作家たちも活躍しているリバティプリント。エマ・チチェスター・クラーク、デビッド・マッキー、ジェーン・レイの童話、ブライアン・ワイルドスミスが2011年SSで図柄になっています。
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2007年のこと。ミュシャの「トリポリの姫君イルゼ」の挿絵画集がスワンギャラリーでオークションにかけられたらしい。
ミュシャの挿絵の「トリポリの姫君イルゼ」の古本。
でも「挿絵画集」ではなくて・・・、
ロベール・ド・フレールの「トリポリの姫君イルゼ」の挿絵。
挿絵といえばミュシャは「クリオ」、「アダミテ」っていうのがある。
手彩色の「挿絵画集」と違って、紙質も悪く残念な感じなんだけれど・・・。138枚は掲載できないからほんの少しだけで・・・
ハムレット 1899
ジスモンダ 1895
椿姫 1896 ボストン美術館
ロレンザッチョ 1896
サマリアの女 1897 MoMAにも所蔵されてる。
メディア 1898
トスカ 1899
リギア 1901
サラ・ベルナール 絵葉書からのリトグラフ
口元を閉じている方です。(歯がみているものも)
ウォーセスター美術館にもある
日本のオフィーリア好きは、やっぱり夏目漱石が根付かせたのかな。それともランボーの詩を訳した中原中也だろうか。
ミレイの描いた「オフィーリア」に群がる人々はみんな同じことをいう。
「美しい花」
「美しいオフィーリア」
これが常識なんだろうか、と思っていたら、よかった、よかった。やっぱり「美のオフィーリア賛歌」じゃないよ、とあった。
このオフィーリアに扮した人は英国の女優で、メアリ・キャサリン・ボルトン。
このタイトルも「オフィーリアのメアリ・キャサリン・ボルトン」(1813年)です。
白いドレスに花篭を持っている。
結局は女優の肖像画だから、「狂気」と「水」の気配はないものの、「花の女神フローラ」っぽい。
この記事にあるのです。
「オフィーリア 水の精 花の女神」
それで「美のオフィーリア賛歌」じゃないっていうのが
「オフィーリア Ophelia」
引用させていただくと
「わたしは溺死という悲劇的な醜さの手前にいる「儚い美しさ」(ヴァニタス)を描いたのだと思います。
(略)
ミレイに限らず、画家たちは「オフィーリアの美」を賛美しているのではなく、「女性を象徴する水死のイメージ」を賛美し、「女性の狂気の無邪気さと怪しさ」を賛美し、「女性を象徴する生殖と性愛」の対象として賛美していたのでしょう。」
あぁ、そうかって喜んじゃいました。
ロセッティ 「ハムレットとオフィーリア」 1858年
オフィーリアはとても冷酷な態度でハムレットに手紙を返します。ハムレットの困惑した顔。ロセッティの版画。
祈祷書を手に、手紙を返すオフィーリアの名場面のお話しはこちら。
「シェイクスピア「ハムレット」から 愛しのオフィーリア」
ロセッティの妻エリザベス・シダルは、ミレイの「オフィーリア」のモデルですが、謎の死を遂げています。
このミレイのオフィーリアにインスピレーションを受けた音楽っていうのもあったんだ。
「ミレイ オフィーリアの音楽」
この謎の死に、ダンテ・ガブリエル・ロセッティは、「神曲」で有名なダンテの恋人ベアトリーチェをエリザベスに重ねて思い出を作品にしています。
こちらの記事にはロセッティのベアトリーチェがある!しかも祭壇画のようにプレデッラ部分があったんだ!
「ダンテの神曲 地獄編トピック」
このロセッティの作品からわかるように、このオフィーリアはハムレットを見捨てた場面。いつの間に、日本では「オフィーリアが見捨てられて」に変わったのかな?
記事「オフィーリア Ophelia」でも、ここからリンクされている記事には、「オフィーリアが見捨てた」とあります。
ところが、次の場面のハムレットの劇中劇のシーンではハムレットがオフィーリアの横で観劇している。
こちらの記事「詩は有声の絵、絵画は無声の詩 ハムレットから」にダニエル・マクリース(Daniel Maclise)の描いたハムレットの劇中劇の作品が掲載されています。その作品は劇中劇で役者が演じているところまで描かれています。
膝の近くまで頭を寄せて、手紙を返したオフィーリアはそんなことも忘れているかのように。
しかも空々しい表情は、何を考えているんだろうと思わせる。
ダニエル・マクリースの描いた劇中劇のオフィーリアは、どちらかというと穏やかにハムレットをみていた気がします。
ハムレットは気が狂ったふりをしますが、結局は死んでいく。オフィーリアは本当に気が狂って死んでいく。
ハムレットは母親、オフィーリアは父親、それぞれ異性の親が絡んだ心の悩み。記事「オフィーリア Ophelia」ではエディプス・コンプレックスだとあったが、そうかもしれない。
そして二人はそれぞれ男と女の死に方にふさわしく亡くなっていく。ハムレットは剣で、オフィーリアは水で。
芋虫 (The Caterpillar)のマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)
「Alice」 VOGUE 2003 by アニー・リーボヴィッツ (Annie Leibovitz)
(c)www.style.com/Vogue
画像引用 不思議の国のアリス 新樹社
第5章 イモムシの忠告 P85 画 作場知生
アリスが暗誦するウィリアム父さん 空中回転とウナギ
ジョン・テニエルの挿絵
画像引用 不思議の国のアリス 新樹社
第5章 イモムシの忠告 P99 画 作場知生
さて、アリスの記事はこれで3つ目
Alice in Wonderland
ティム・バートン アリス
ALICES IN WONDERLAND www.alice-in-wonderland.fsnet.co.uk
評価:
スタンダール 新潮社 ¥ 540 (1984-01) コメント:「再読する」をおすすめ。源氏物語のように美しい若君が主人公。彼を取り巻く女性たちも、マクベス夫人、よく言えばポンパドゥール夫人に例えられるぐらいの才知とかけひき上手なサンセヴェリナ公爵夫人。そして可憐すぎるくらい可憐なクレリア。面白さは最後にわかる。 |
評価:
価格: ¥620 ショップ: 楽天ブックス コメント:このカバーのイラストに描かれているのが美貌を誇るファブリスなのでしょうか。自己満足のためにあらゆる人々を奔走させ、心はいつも自分だけを見つめている。八木美穂子さんの装画は見事に彼の人間性を描いています。 |
ようやく終わったというのが正直な感想。
主人公ファブリスはいつも女性に助けられる。そうして彼自身も周囲も、なぜか幸福感に満たされるという物語。
相思相愛のファブリスとクラリス(クレセンチ侯爵夫人)ですが、彼女の誓いのため闇の密会を重ねるという「穢れなき悪戯」のようなアホらしさも、純粋、可憐、情熱というものに代替されていきます。
この物語の本当の主人公は、マクベス夫人の凄まじさとポンパドゥール夫人のように才知と駆け引き上手な「サンセヴェリナ公爵夫人」かもしれません。
ファブリスが人殺しをしても、恋焦がれる甥のために一肌ぬぐサンセヴェリナ公爵夫人。それだけではありませんけど、彼女の大胆な策略に彼女の周囲の男たちも一肌ぬぐ。毒殺だって厭わない。
この物語はすべて異性という人とのシーソーゲーム。ファブリスは女性。サンセヴェリナ公爵夫人には男性。
ファブリスのために尽くすことが幸福な女性たちの一人に、こういう気質のサンセヴェリナ公爵夫人が熱をあげるのも不思議。スタンダールが「生きた、書いた、愛した」時代の象徴的な存在の女性像かもしれませんね。
サンセヴェリナ公爵夫人とやがて結婚することになるモスカ伯爵は、ユングのいわゆる人生の午後を過しているわけだったり、読む側の年齢でも感ずるところが多いかもしれない。
再読することで、いろいろな因果関係、人の心の機微が手に取るように伝わってくる。
作者スタンダールの名言もよく見聞きするけれど、「恋愛論」、「赤と黒」からが多い。「パルムの僧院」からはほとんど覚えがない。日本受けしないのかな?
「恋というものはなんとおそろしい情熱だろうか。それなのに世間の嘘つきどもは、恋をあたかも幸福の源泉のように言っている。 」なんてひとつだけ取り上げられていました。月並みすぎません?
スタンダリアンでは「赤と黒」、「パルムの僧院」どちらが代表作かと論じられるそうだけど、日本じゃ「赤と黒」が代表作だね。
ワタシとしては、滅多にこういう長編はないから、「パルムの僧院」としておこう。
アンネの一家の生き残りでもあるオットー・フランク(Otto Frank)氏。
ワタシ、あの言葉が好きだったな。
きっとこの言葉が好きだった人、いるだろうな。
今度、ブログで検索してみよう。
「わたしの望みは死んでからもなお行き続けること!」
この言葉は1944年4月5日の日記です。
これからの未来の自分は結婚して、子供を生んで、そして家事に専念することではなく、「わたしはぜひとも何かを得たい」と。
新聞記者、作家の夢があったアンネ。死んでからもなお名の残る仕事をしたいと願っていたアンネ。
まったく別のかたちで実現してしまったのですね。